菊地直子被告人の無罪判決と裁判員裁判

11月27日オウム真理教の菊地直子被告人に対する殺人未遂幇助事件について無罪判決が出た。
私は、オウム真理教の事件は裁判を継続的に追っかけていないし、菊地被告人の裁判書類も読んでいないので、事件についての詳しいコメントはできない。ただ、1審の裁判員裁判と2審の高裁での裁判官の判断が真逆になったこと、もっぱら証人の井上死刑囚に対する評価がちがったことに関連して、少しコメントしたい。
若干情報収集すると、弁護士業界内でのこの高裁判決に対する評価は高いようだ。
高裁判決は井上死刑囚の証言が不自然に詳細かつ体的で、信用できないとした。また、菊地元信者は指示されたことを実行する立場に過ぎず、教団の実行犯が人を殺傷するテロ行為を行うことを認識して手助けしたと認めるには合理的な疑いが残る、とした。

実は、裁判員裁判のかなり本質的な問題が現れているのではないかと思う。
私は、過去裁判員裁判を2件担当した。いずれも否認事件だった。それで、印象になってしまうのだが(検証ができない)、裁判員は、証人の証言や被害者の供述を誤りのない真実だとして受け取っているのではないか、ということである。故意の虚偽だけでなく、記憶の曖昧さ、誤解などで、誤った証言、供述をすることは少なくないはずである。それをただすために、反対尋問がある。検察側は、証人や被害者の証言、供述の前に、相当長時間、何回も証人テストという打ち合わせをする。30分程度の尋問に対して、何日もかけ、それぞれ数時間テストをする。それだけやればストーリーを暗記してしまうのではないか、と思ったりする。ところが、その証人が反対尋問でぼろぼろになり、しどろもどろになることがある(私の担当の件ではそうなった)。でも、裁判員はその証人を信用したようだ。
また、えん罪を起こさないための原則である、疑わしきは被告人の利益にという原則が全ての裁判員にわかっているかにも、疑問がある。
私の事件では、疑わしき羽被告人の利益にと言うのが刑事裁判の原則である、と冒頭陳述などで言おうとしても冒陳事項ではないとして妨害された。検察官は、有罪判決を勝ち取るための当事者化が著しく、公益の代表者という面が後退している。いかに、裁判員を検察官の側に向かせるかにものすごく労力を使うし、組織的に学習、経験を積んでいる。

菊地直子被告人の事件に戻る。高裁は、草原が不自然に詳細かつ具体的で、信用できない、とした。これは裁判に関わる専門家はよくわかるのだが、裁判を始めて経験する一般人は、証言する以上は正しいのだろう。反対尋問でも揺らがなかったのだから真実なのだろう,と思うのが通常だろうと思う。法律家なら、ああこの証人は嘘をついているな、とか、証言を作って暗記してるな、等と感じられるのだが。この点に一般人が担当する裁判員裁判の弱点があるのではないか。

裁判員裁判が導入される前、模擬裁判等がたくさん行われていた。そこに参加した模擬裁判員は相当意識が高い人が多く、無罪の推定などについても十分理解している人が多く、裁判員裁判では事実認定がきっと良いものになると漠然と思ったものだった。ただし、量刑は、裁判員には向かないのではないかと思っていた。

ところが、実際に裁判員裁判が実施されると、高裁で、逆転する件がけっこうある。量刑もそうだし、証人の評価でも結論が別れることがある。
今現在では、私は、裁判員裁判にはちょっと否定的な意見になっている。

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