破産今昔物語9
昔と今では、どのような人が破産するか、かなり違いがある。 かつては、事業に失敗した人、保証債務の負担を追った人等が多かった印象だ。
仕事を辞めても次の仕事があり、そこそこの収入が得られたことも多かった。
病気で収入がなくなった人や生活保護を受給しなければならなくなった人で、事情を話しても取り立てがやまないのなら、
私が低額の弁護士費用で代理人になって風よけになり、これこれの事情で払えない、
本人には連絡を取らないように、といってたいていは治まっていた。
破産の申立はお金もかかるので(弁護士費用や予納金、印紙・郵券)あまりしなかった。
生命保険の外交の女性はよく破産をしていた。友人、親戚などにひとまわり保険に入ってもらうと、それからの勧誘がとても大変になる。
給料は歩合で、勧誘に必要な景品などは自前だ。中には、契約してもらい、保険料を立て替えていた人もいた。
派手な生活をしていた人もいた…。どのような給料システムかよく説明できない人も多かった。かなり不健全な業界だと思った。
ちなみに、保険の外交の仕事は、破産をすると出来なくなるので、
のちには、保険の外交を続けようという人は、民事再生をすることになった。
それから、男性では、警備の人の破産が多かった。
昔は、借金を抱えて、会社も辞め、結局警備の仕事につき、残された借金を整理するために、
破産をしたというパターンだった。しかしやはり、警備の資格を失うことになる。
また、かつて自動車のローンが関与する破産が男性では多かった。
バブルが華やかだったころは、住宅ローン関係の破産はほとんどなかった。
地価は右肩上がり、給料も上がる。住宅を売れば値上がり益が手に入る。
余談になるが、当時は弁護士も立ち退き関係の仕事が多かった。
アパート一室の立ち退き料が数百万円という、今からは考えられないようなことがしょっちゅうあった。